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インターネットのない生活は快適か不快か

ライフスタイル

以前、住居を引っ越す際にインターネットがない生活になったことを思い出していました。最初に結論を言うと、ネットのない生活は、快適です。

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ラジオと口コミだけの情報生活

情報の僻地に身を置いている間、私が唯一取得できる情報源はラジオのみでした。

このインターネットのない状態ってのが、を私がかつて経験した中米の村落地域(僻地)での生活をしているような気分になり、とても懐かしく居心地が良いと感じていました。

もちろん、日本での生活の話なので周囲にはコンビニもあるし、電車もあるし、電気もある。だから、厳密に言えば僻地ではありません。テレビだとかパソコンといったものが全くない状態で、情報の僻地に身を置いていると言った感じです。

もちろん携帯電話でインターネットもできなくはない環境なんですが、孤立感を高めるために電源をわざと落としました。

このように限定的な情報量しか取得していないと、実は精神的には安定することを実感しています。あれも、これも「知る」という行為は、満足度は非常に高くても、それが快適なものとは一致しないものなのです。

情報のありがたみを考える

SNSが発展しすぎて、情報のありがたみがすごく薄れていると思います。

情報を抱え込まないというか、もっとゆとりをもっていくことも大事なのかなって。インターネットは、情報という範囲の中で世界を大きく広げることができます。でも、それが私たちにとって本当に快適かどうかは、最近になって甚だ疑問で仕方ありません。

情報収集する行為に対して、少しペースを落としてみるってのも大切なんじゃないかと感じています。情報を集めるばかりじゃなくて自分の考えを整理する時間ってのも時には必要じゃないかなぁって思う今日この頃です。

コメント

  1. 管理人 より:

    やはり便利さからの恩恵ってのは絶大だと思う日々を過ごしています。インターネットの無い環境から大きく変わり、こうやってBailarina.jpさんに返信できるようになっています。

    ただ、顔の見えない相手とあれこれやり取りするのは、限界があるのも一理。便利なのは有り難いけど、それによって新しく生まれる弊害ってのも危惧しなくてはなりません。情報へのゆとりも、その一つじゃないかって考えています。

    なんだかんだで、便利なサービスを自分の生活に取り入れたりしていますが、やっぱり人と人が密につながりことは大事なんだと思います。アメリカのオバマ大統領の発言にもあるように、今の世の中には「対話」が不可欠な時代なのかも知れません。
    と、偉そうなことを言いつつも、今日もブログで交流している管理人でした。

  2. Bailarinajp より:

    >情報へのゆとりって持つべきなのか、そんな事ばかり考えています。
    うん。そうですね。。。

    とても考えさせられました。私も、今や、PCやネットが手放せなくなりましたが、考えてみれば、それは、ほんのここ数年の事です。それまでは、こうゆうツールとは、まったく無縁な生活を送っていました。携帯電話だって、まだ15年位でしょ?
    私が、社会人になった頃は、携帯電話なんて、一般人ぢゃ、持てなかったもの。。。でも、だからって、その頃、充実感がなかったか・・・?

    そう考えてみると、いや、そんなことはないと思うのです。。。確かに、不便だったかもしれないけど、それもそれなりに、”良さ”があった。不便さを工夫する良さ。不便さを克服していくおもしろさ。不便なゆえに、周囲の人間との関係も、濃かったように思う。。。PCやネットで世界は広がったけど、薄れてしまったもの、失ってしまったものも、あるなぁ。。。なんて。この記事を読んで、しみじみ思ってしまいました。

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