アルゼンチン、奪われた赤ん坊と軍事政権時代

中南米ニュース
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Photo:Baby toes By:sabianmaggy
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1976~83年、南米アルゼンチンの軍政下、軍が反体制派とみなした市民を拉致する出来事がありました。

拉致された人の数は推定3万人。多くが殺害されたとみられています。中には母親と一緒に拉致された乳児や収容所で産まれた赤ん坊がおり、その殆どは軍人家庭に引き取られ、出自を知らされないまま成長したのです。

近年、近隣住民の通報などで捜査が始まり、DNA鑑定で「奪われた赤ん坊」と判明する事例が増えているのです。アルゼンチン抱える大きな政治問題に注目します。

軍政下の左翼狩り

アルゼンチン、チリ、ブラジルなど南米6カ国の右派軍部は75年、連携してマルクス主義者を掃滅することに合意し、拉致や暗殺を含む「コンドル作戦」に着手した。

アルゼンチン軍政は76年に左翼狩りを始め、確認されただけで1万1000人、推計3万人が拉致された。多くは収容所で拷問された後、睡眠剤を注射され、軍用機から河川や海に投げ込まれ、葬られた。

参照:国家テロリズムと市民―冷戦期のアルゼンチンの汚い戦争

「親の敵」に育てられ30年

ブエノスアイレスに暮らすコンピュータープログラマーのペドロ・ナダルさん(36)は、29歳まで警察官の息子ルイス・フェリアンとして生きてきた。匿名通報がきっかけで04年6月、裁判所に呼ばれてDNA鑑定を受けた。まもなく判事に「あなたの本当の名前はペドロ・ナダルです。父親は生きています」と告げられた。驚くと同時にずっと抱えていた疑念が解けたと感じたという。

実父は75年、左派「労働者革命党」党員として軍に逮捕された。実母と生後9カ月のペドロさんは翌年に拉致される。路上に放置された1歳年上の兄だけが、祖母に保護され無事だった。

釈放された実父はペドロさんを捜し続けた。人権団体の協力で「それらしき人物」の特定に結びついた。鑑定結果が判明する1カ月前、実父は待ちきれず、郵便配達人を装ってペドロさんの勤務先の会社を訪れ、一目みて息子と確信したという。1歳違いの兄とそっくりだったのだ。

軍事政権はイデオロギーの違う左派の親を殺して乳児を奪い、右派の家庭で育てる「思想矯正」を試みた。拉致した女性が妊婦の場合、出産までは殺害しなかった。5000人を収容した海軍工兵学校には妊婦部屋が二つあり、妊娠7カ月を過ぎると集められ、出産した。全国で約500人の赤ん坊が、子供を望む軍人や警察官に引き取られた。

 ペドロさんは出自を知った2カ月後、離婚後に1人で息子ペドロさんを育てた養母を訪ねた。「事実を知った」と告げると、養母は小さな袋をくれた。拉致された時に着ていたベビー服、小さなブラシと枕が入っていた。

養母は09年に73歳で亡くなった。がんで死の床にある彼女の看病はいとこに任せていた。感情のわだかまりがあったからだ。最後に訪ねたのは息を引き取る15日前。養母は幼少期のペドロさんの写真を納めた箱を差し出した。「そのとき初めて『あなたを許します』と言った」と、ペドロさんは振り返る。

広がるDNA鑑定の動き

赤ん坊を取り戻す活動の中心は、行方不明者の家族が設立した人権団体「5月広場の祖母たち」だ。97年からキャンペーン「自分が誰だか知っていますか?」を始め、30代前半の若者に「出自に疑いを持っているなら連絡を」と呼びかけてきた。

政府もこうした要求を受け、92年にアイデンティティー権利委員会を設立した。検察官が身元調査に協力し、希望者は無料でDNA鑑定を受けることができる。また、97年に養子縁組法を改正し、養子に本当の親の情報を開示することを義務づけた。

今年10月までに「奪われた赤ん坊」の105人が本来のアイデンティティーを取り戻した。だが、出自判明で問題が解決するわけではない。養父母に対して訴訟を起こす者がいたり、逆に「本当の家族」との対面を拒否する者もいる。

陸軍中佐の一人娘メルセデスとして育ったクラウディア・ポブレテさん(33)は21歳の時、左翼ゲリラだった実父、それに実母が軍に拉致されていたことを知る。

軍の幹部だった養父は未成年者の出自を隠して所持した(家族に留め置いた)罪などで有罪判決を受けた。それでも可愛がってくれた養父母を捨てきれず、5年間同居した。だが結婚して家を離れ、3年前に娘が生まれ、育てる中で養父母への感情は変化した。

「子供にうそをつかれるのが最もつらい。私も娘にうそはつかない。養父母は私が奪われた赤ん坊と知っていた。いくら愛情があっても、毎日子供にうそをついて育てることの罪の大きさを感じないわけにはいかない。ゆがんだ愛だった」

クラウディアさんはそう話し、80歳代になった養父母に娘を抱かせたことはないと打ち明ける。自身は出自を知って以来の10年間、心理カウンセリングに通った。「メルセデスとして生きた21年間も私の一部分だと、やっと納得できるようになった」と語る。

政府が軍政下の人権侵害について調査を始めたのは83年の民政復帰後だ。だが歴代政権は一般軍人の責任追及に及び腰だった。軍のクーデターを恐れたからだ。左派のキルチネル政権が05年にやっと拉致事件の訴追を本格化させ、今年10月までに、収容所での拷問や殺害に関与した軍人約250人が殺人罪などで有罪判決を受けた。

引用:毎日新聞

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