Photo:Preparing medical response to disasters – Nairobi, Kenya – 05-2010 By US Army Africa
むかしむかし、国際協力の世界を少し覗く機会がありました。
もう10年以上も前の話です。世界の貧困と向き合いながら海外で仕事をしている知人の姿を垣間見たことがあります。私も海外に在住しておりましたが、貧困支援で教育の現場にいる人の姿を見たときに感じた思いが日記として残してありました。
非常に偏った意見で、この場で公開するかどうか迷ったのですが、私の正直な気持ちが書かれていたので「やや表現を丸く書き換えて」ここに記します。
これは10年前の自分が記したメモの断片です
今読み返すと、非常に尖った意見だったり、間違った観点を持った記述が随所に見受けられます。本記事にて公開前に、あまりにも飛躍した表現などは削除し、必要に応じて加筆修正しています。
しかしながら、当時の私の気持ちを正直に残しておきたいのも事実。少々曲がった意見が書かれていますが、こういう見方もあるんだな、という程度に読み流して頂けますと幸いです。
ちなみに、私は教育関係においてはズブの素人です。
貧困支援における教育の重要性
国際協力の世界を垣間見て最初に感じたのは、貧困を救うにも経済危機を救うにも「教育」がとても重要であるという関係者の話が多いことです。
貧困地域において教育は、唯一の知識を広げる場であり、我々が想像する以上に重要視されています。国際協力に携わる人のブログなどでも、よく取り上げられるテーマの一つで、医療と同程度のレベルで重要視する人も私の知人の中にはいます。
ただ、貧困地域の現状を目の当たりにした私にとっては、貧困支援における教育が本当に機能しているのか疑問に思う部分もありました。途上国での教育活動の現場を見て、ある種の矛盾を見つけてしまったのです。
教育は貧困を救う為なのか、金持ちの為なのか
教育は、そもそも誰の為にあるのかという大きな問題。教育は貧困を救う力があるが、設備も資料も何にもないところで、満足な教育ができるとは、私には思えません。
教育するには、お金が必要です。それは政府が負担するのか、各家庭が負担するのか、負担者が誰であれ、物事を教える行為には何かしらの金銭的負担が付きまといます。発展途上国においては、この教育が圧倒的に不足しており、生活レベルはおろか、私たちにとってはごく当たり前の知識が必要十分なレベルに達していません。これが先進諸国とは確実に異なる部分です。
でも、途上国と呼ばれるような地域でハイレベルの教育を子どもに提供してる人は一定数います。いわゆるお金持ちの人たちです。彼らは大学卒業どころか留学経験も豊富なのです。
結局は、教育にもお金が必要だと痛感する瞬間で、私が10年前に話を聞いた教育現場における国際協力の現状でした。
やっぱり金、されど金
こうやって貧困支援の中で教育を普及させる仕事の話を聞いていると、結局お金の必要性に行き着いてしまいます。お金がなければ、教育を語ることすらできないのが現状でした。
当事者曰く、教育とは何の為にあるのかさっぱりわからなというのです。
教育は金持ちのためにあるのか、貧困を救う為にあるのか。私が垣間見た教育現場における貧困支援の現実はこのような状況と向き合っている真っ只中でした。
あれから10年。当時貧困と教育の間でもがきながら支援活動をしていた知人がどのような軌跡をたどったのか確認できていないのが唯一心残りです。
コメント
管理人さん。こんにちわ。
管理人さんが、感じた疑問は、私もいつも感じています。途上国では、貧しいひとたちが貧困を根け出すための教育が重要とされてますが、現実の教育システムは、そのような人たちために機能してないことが多いです。
つい最近まで、多くのラテンアメリカでは、エリートしか進まない(進めない)国立大学に教育予算がたくさん使われていました。国際協力や援助にしても、本当に教育が必要な貧しい人たちの手に届いているかは、疑問です。
私は、いつもこのテーマを考えてつづけていますが、あれなんどろさんも、この疑問をぜひ持ち続けてください。(中米グアテマラ滞在中 やまかわ)
>> やまかわさん
コメントありがとうございます。
教育って難しい立場を取るものなんですよね。だから、矛盾も多いと思うんです。僕もこれに気づくまでに随分と時間がかかったので、世の中の人みんなが気づくにはもっと時間がかかるのかもしれません。
こういう類いの記事を過去にも書いたことがあるんですけど、批判が集中しやすいと言うか、やっぱり意見が偏ってしまうんですよね。やむを得ず削除したものもあったりするんです。本当に困ったものです。
そういう中で暖かいコメントを頂けたことは、本当に嬉しい限りです。ありがとうございます。